蛇崩山
平成25年2月23日
蛇崩山は新潟県関川村と山形県小国町の県境付近、国道113号線沿いに聳える山で、車で県境付近を走っていると窓から大きく見え、荒川をはさんで対峙する飯豊連峰と朝日連峰の飯豊連峰側にある一番末端の小さな山で、尾根は荒川に吸い込まれるように落ち込んで消えております。
去年、荒川を挟んだ朝日連峰側に聳える女川山塊横松山に登った時、荒川から発生し蛇崩山に続く尾根は確かに蛇がのた打ち回っているように見え、
今年の干支の名前の山と言うこともあり、登ってみました。
「どこから取付こうかな」なんて思いながら地図を眺めたり近くまで偵察に行ってみたりしていろいろ考えた末に国道113号線の岩船ダムに車を止め、岩船トンネルを徒歩で通過してトンネルの出口から斜面に取り付くことにしました。
国道脇の雪の壁に登りつきながら「俺、何やってんだろ?なんでこんな辺鄙な山に登ろうとしているんだろ?国道を通過していく車からはどのように見えるのだろう?」いつも登山道の無い山へ登る時、最初はこんなことを考えてしまいます。
とにかく目立たなくなるように急いでトンネルの上部へと出て、ここからスノーシューを着用し、膝上までの雪の斜面に取り付きました。
頭上には主尾根が見えますがその先はどうなっているかまったく未知の世界です、あとは地図を見て判断したルートを信じて登り続けるしかありません、とにかく主尾根に乗るまで我慢と思いながら膝上から腰までのラッセルに耐え急斜面を登りました。
尾根に出ると木々の間から終始左側に女川山塊が複雑に目の前に広がります、正面には以前に二度登ったことがある横松、右手方向には蕨峠と思われる県境尾根が見え、眼下には国道113号線と白く雪に覆われた荒川本流が俯瞰できます。
しばらく進むとなんと驚いたことにトレースがあるではありませんか!尾根上は凍り付いているのでほとんどラッセルはありませんが、自分で道を切り開いて進んでいく楽しみがなくなってしまいました。
がっかりしながらわざとトレースを外して歩いたりしながら山頂付近まで来るとトレースの主が下山してきました。
トレースの主は私の顔を見て驚いておりましたが、私だってまさかこんなところに人がいるなんて思ってもいませんでした、さすが干支の山です。
少々言葉を交わしてから山頂に行くと藪山の重鎮である羽田さんから聞いていたとおり避難小屋と思われる建造物がありました。
結構しっかりとした立派な小屋で中は土間になっており薪ストーブまでありました。
下山は先ほどすれ違った人がどこから取付いたのか調べるためにトレースに沿って最後まで行ってみると岩船ダムの構内で踏み跡は消え、ダム管理棟の中へその人は入っているようでした。
私は管理棟の中に入るわけにはいきませんから、ダム敷地内の縁にそって国道に出て、車へと戻りました。
ダムまで歩いてしまうと距離が長くなり効率はよくないように思えました、そもそもダム構内や管理棟内部を通過しなければ国道に出られないのでこのルートは今後使えそうにありませんが…。
今回は大寒波が襲来している最中に運よくちょっとした隙をついて無事に登ることができました。
この付近の山々は未開発の山々が多くひしめいており、旧米沢街道が女川山塊の山々を縫うように走っていた歴史あるところでもあり、県境紛争未解決部分もありで非常に興味が尽きない一帯であります。
さらに関川村の大蛇伝説をはじめとした多くの伝説が残っており、登山道が無くなかなか入山しにくい面もありますが、それら神秘的な伝説に抱かれた歴史のある山々を訪れることはとても面白く感じ、これからもいろいろ訪ねてみたいと思っております。
この蛇崩山については地形から来ている山名だと思われます、関川大里峠の大蛇伝説で大蛇が暴れて土砂崩れをおこしたところから来た蛇崩、尻尾を打ち付けて淵になったと言われている大内淵や蛇を退治するのに釘を作った場所が金屋など大蛇伝説に纏わる地名が多く現存しております。
この蛇崩山の麓集落には八つ口という集落があり、実際この地名は付近に砂鉄が多く採れ、砂鉄を掘る穴がの口が多く開いていたそうですが、穴の数は八という語呂のいい数字を使って八つ口という地名にしたということだそうです。
しかしこの八つ口集落についても蛇に関連する面白い話がありまして、出雲大社の神様スサノオノミコトがヤマタノオロチを追いかけてきて退治したとされている場所が八つ口なのだそうで、八つ口と言う地名はヤマタノオロチに因んだもので、その時にヤマタノオロチが暴れて土砂崩れをおこしたのが蛇崩山だといった話もあるそうです。
蛇の話と言えば以前、新発田市の湯ノ平温泉に通じる林道で斜面の崩落防止工事を請け負っていた時のこと、斜面の岩の隙間からおびただしい数のマムシが団子状になってぼとぼとと落ちてきたことがありました。
作業をしていた人々は狂喜乱舞し建前の餅拾いのごとく先を争ってマムシ拾いをしておりました。
その日の昼食時はストーブの上でマムシが焼かれていて私もその採りたて新鮮な焼きマムシを御馳走になりましたが淡白な白身でまあまあ食べられました。
尻尾の部分は固くジャリジャリしていて美味しくありませんでしたけど。
生のままハサミでちょん切って食べている人もおられましたし、次の日弁当にマムシを入れてきている人もおられました。
とにかくマムシは大人気であれほど採取できたにもかかわらずあっという間に完食されてしまっておりました。
関川大里峠の大蛇伝説の話は大里峠付近の山々に登ったときにでも書くつもりなのでここでは詳しく書きませんが、その伝説の一部を抜粋すると「大蛇を輪切りにし味噌につけて瓶にしまっておいたのを嫁が見てしまい、一切れこっそり食べるつもりが大蛇の味噌付けがあまりにも美味しくてついつい全部食べてしまい、そして嫁はとうとう蛇になってしまった」といったストーリーですが、湯ノ平林道工事では作業員で蛇になった人は確か一人もいなかったのではないかと思います。
でも美味しくて全部食べてしまうというところは伝説と同じでした。
この付近の山では光兎山の南東側に女川林道が伸びており、そこで砂防工事をしている業者からマムシが多くいるといった話を聞いたことがあります、しかしそれにもまして山ビルが多くて大変だということでした。
マムシは人を見ると威嚇しながらも逃げていきますが、山ビルは人を見ると逆に寄ってくるわけですからそりゃ大変ですよね。
山ビルもマムシ同様に美味しく食べられるといいと思うのですが、誰か良い調理法を知っている方がおられましたら教えていただけるとありがたき幸せに思います。
いつか山仲間の皆さんでマムシと山ビルのパーティでもしてみたいものです。