天狗の庭

佐武流山山頂から苗場山


苗場山~佐武流山

526日~27

 

湯沢高原には多くのスキー場がひしめいておりますが、その中でも苗場スキー場はひときわ知名度が高く、苗場山の名前は聞いたことがなくても苗場スキー場の名前は誰もが知っていると思います。

苗場山麓奥深くリフトが侵入し、車両はかぐら三俣スキー場の和田小屋近くまで入ることができるようになり、苗場山は比較的登りやすい山になっているものと思います。

主役の山よりもスキー場の名前が一人歩きしてしまっている苗場山ですが、山麓にはスキー場以外にも清津峡や秋山郷といった名勝地があり、優れた観光の山として苗場山は我々に恵みを与えてくれ、山麓の人々や訪れる人たちに愛され続けている山なのだと、今回行ってきて感じ取ることができました。

 

 

ゴールデンウィーク以来、5月の第4週は久しぶりの連休でどこに行こうかいろいろ迷っておりました。

この時期、稜線上の雪解けはかなりすすんできているのに登山口までの道路状況は良くないところがほとんどで、なかなか行先が決まりませんでした。

 

稜線部分が広い山域なら行けそうだろうと判断し、当初は尾瀬の奥にある景鶴山~赤倉岳~至仏山を考えておりましたが、道路の交通規制がすでに始まっており、それに伴い入山者が多くなっているので行きにくいと判断し、そこはやめにして。

それでは平ヶ岳から赤倉岳と景鶴山に行こうかと考えましたが、道路の開通は逆にそこは遅れているので、その山域に関して断念せざるを得なくなってしまいました。

 

他の選択肢として南会津の長須ヶ玉山~帝釈山~大中子山なんていうとても素敵なコースも考えましたし、新緑素晴らしい朝日連峰の大鳥池なども候補に挙げておりました。

 

どれもこれも行きたいところばかりなのですが道路の状況が芳しくなかったりして、雪の状況についてもよく検討してみた結果、最後に残った候補は丹後山~越後沢山の十字峡周辺の山々にするか苗場山~佐武流山の秋山郷の山々にするか前日の夕方まで迷っておりました。

 

そして最終的に苗場山~佐武流山コースを選んだのには二つほどの理由がありまして、ひとつは道路状況を問い合わせた時に電話で対応してくれた方が「この時期、苗場に登る人などほとんどいませんよ!大丈夫かなあ?行けるかなあー?」という明確な返答をしてくれたことで入山意欲が高まり、二つ目の理由はここ最近登山道の無いところばかり歩いていたので久しぶりに楽をしたいと思って、登山道の有るところを歩くことにました。

5月のこの時期でもスキー場はまだ営業しているので和田小屋からではなく秋山郷から入山することにしました。

秋山郷は新潟県の津南町と長野県の栄村にまたがる秘境あるいは桃源郷などと言われているところで、訪れる人たちを素晴らしい日本の原風景が歓迎してくれます。

 

その秋山郷には江戸時代の後期、越後の随筆家である鈴木牧之が訪れていて、北越雪譜の中でその時のことが一部書かれております。

北越雪譜と言えば巻機山を思い起こす方が多いと思いますが、苗場山に登山したことも詳しく書かれていて、その苗場山登山の中で山頂小屋のことについて書いてあったのでそれを引用してみます。

「木の枝、山篠、枯れ草などを集めて藤蔓で束ねて、中には這って入るように作ってあり、野非人の住むところのようである。この場所を今夜の泊まり場と決めたことは悲しいことだ、と言って皆で笑った」と記述してあります。

これから考えると江戸時代からすでに苗場山は登山されており、山頂にも山小屋があったということが伺い知ることができます。

 

この苗場山の記述以外にも鈴木牧之は北越雪譜の中で秋山郷の住人である九衛門という人が熊に助けられていて、その九衛門から直接話を聞いたということを書いております。

九衛門は残雪期に薪を山に採取しに行ったところ穴に滑落してしまい、上がることができなくなり、そこで仕方なく穴の奥に入っていってみると暗闇の中に明らかに熊と分かる動物が潜んでいたそうです。

九衛門はもうだめだと諦めていると、その熊が尻で九衛門のことを熊の寝床まで押したそうです。熊の寝床はまるで炬燵に入っているように温かく、さらに熊が手を九衛門の口に差し出すので舐めてみると甘い味がしたということです。

結局、九衛門はそのまま四十日以上穴の中で熊と過ごし、雪が解けてきた頃に熊に手を引かれ自分が落ちた穴の上まで連れて行かれ無事に帰ることができた。

家に帰るとちょうど四十九日の法要の日だったそうで、最初はやせ細り、髭が伸びていた九衛門を見て幽霊だと思ったそうですが、訳を聞いて納得し法要が急に祝宴に変わったということです。

 

これら以外にも弘法大師が立ち寄った時の伝説話なども多く残っている秋山郷、そんな山深いところにひっそりと生活を営んでいる秋山郷の住人は平家の落人の末裔とされておりますが、秋山郷の人々はそれを頑なに否定するそうです。

学者の方々は奥山にひっそりと暮らしている人たちについて発祥が分からない場合はすべて平家の落人として扱いたがる傾向にあるのだそうで、秋山郷についても多くの学者が平家の落人説について研究調査しているようですが、ほとんどのことは分かっていないのだそうです。

元来、平家の落人と言えば源氏に追われ、奥山深く逃げ込んでそこに住み着き、源氏に見つからないよう平家ということを隠しながらひっそりと生活していたので、そんなことから秋山郷で暮らしている人たちにとって平家の落人として扱われることは心外なことなのだろうと思います。

 

秋山郷には苗場山から佐武流山、白砂山が連なっているほか、中津川を挟んだ対岸には鳥甲山、岩菅山、志賀高原の山々が聳えております。

今回はせっかく一泊二日なので苗場山から佐武流山まで縦走してくることにしました。

 

 

5月26日

車は予想に反して小赤沢の一番奥の駐車場まで乗り入れることができました。

歩き始めからすでに苗場山の山頂台地が右上に見えます。

山が浅いのか人が奥まで入り込んでいるのかは分かりませんが、いずれにしても苗場山は麓から山頂までとても近い山です。

緩い登りをしばらく進むと急に斜面が急勾配になり岩場の崖を登るようになり、この切り立った斜面を登りきらなければ苗場の山頂台地に立つことができません。

雪が多く付いているため登山道は分からないのでとにかく雪崩にだけ注意しながら山頂台地に向け適当に登りやすいところを選んで登りました。

 

しばらく歩きにくい急斜面を我慢して登って台地の一角に出ました。

ここから広い平原状の中で少し小高くなっている山頂へ向かい、北越雪譜に描画されていた山小屋とは今では想像がつかないほど立派な宿泊施設が建設されている山頂に私は実に20年ぶりに立ちました。

20年前に来たときは天気のいい紅葉の休日にも関わらず他の登山者はまったく居なくて、一人の苗場山を満喫することができました。

今日の苗場山も静寂そのもので、ここで見る山の風景は20年前に来た時と何も変わらないままです、ただ大きな宿泊施設が建設されている以外は…。

 

 苗場山は自然保護区域に指定されており幕営が禁止されています。その代りなのでしょうかビジターセンターなどという体裁のいい名称で大きな宿泊施設を建設し、登山ブームも手伝って多くの人が訪れるようになり、その結果かえって山の荒廃化が進んでしまっているように思います。

山頂から雪で覆われている平原を概ねの登山道があると思われるところを佐武流山方向に進みます。

周囲には大きな山々が連なっていてどれが佐武流山なのか分かりません。

山頂台地から外れると大きな落差を下ったり、急な斜面を登ったりしながら赤倉山を目指します。雪は固く締まっていて非常に歩きにくくかなりの時間をかけて赤倉山山頂に立ちました。山頂は広くなだらかですが、針葉樹林に覆われていてあまり見晴らしが利きません。その後も大きな落差の登り下りと固く締まった雪に苦労し、ほとんど針葉樹林に囲まれ見晴らしが利かない尾根を進み、いくらか展望があるナラズ山を通過し、そして苗場山から果てしなく遠かった佐武流山の山頂に立つことが出来ました。

今日の歩程はまたしても12時間。しかも久しぶりに登山道の有るところで計画をたてたのに半分以上は雪で覆われて、登山道が出ているところは荒れ気味で倒木も多く、結構歩きにくいところでした。

感覚としては越後駒ヶ岳と中の岳との縦走路にある檜の廊下をもう少し歩きにくくしたような感じでしょうか。

本当はもっと簡単に行ける予定での計画でしたが、やはりそう簡単にはいきません、今回は少し楽な登山をしたかったのに、私は楽な登山ができない運命なのでしょうかねえ。

 

佐武流山山頂は狭く、これまた一部分しか展望が利かず「これが200名山!?」と思うようなところで驚きました。

すぐ隣の谷川連峰は非常に景色が良く、大展望を満喫しながら縦走路を歩けるのに谷を一つ隔てただけでこれほど植生が変わるものなのか、こちらの縦走路は針葉樹林帯の中、佐武流山までたどり着いてもそこは相変わらず針葉樹林に囲まれているだけでした。

 

佐武流山の名前については諸説がいくつかあり、長野県側に岩窟があり、そこから冷たい寒が吹き出すので寒龍山と呼ばれていたのが転化したものだという説とサブとは水錆のことを言い、昔この山には鉄を採取していて水錆が流れるいわゆるタタラ川があったのだとされる説があるそうです。

それから途中で通過したナラズ山についてですが、雪崩が発生しやすいため大声をだしてはならないと言われていた山で、そこからナラズ山と言われるようになったということが日本山名辞典に書いてあります。日本山名辞典は非常に信憑性のある辞典で、私はよく参考にしております。しかし他の参考書で調べてみるとナラズとは左右に伸びる稜線が穏やかというような意味があり、そこからきているということが書いてありました。どうもこちらの方が信憑性が高いように思えますが、どうでしょう?

 

苗場山は簡単ですよね、田んぼの苗代のような山頂からきているものですし、赤倉山は赤い岩山という意味も皆さん御存知かと思います。

 

5月27日

今日は来た道を戻るだけの行程ですが、苗場山頂台地の登山道から外れたところに位置し、今では貴重な楽園である天狗の庭に立ち寄り、そこから山頂台地の登山道の無いところをまっすぐ縦断して下山する行程でいくことにしました。

 

昨日と同じように展望のない針葉樹林帯の中を登り下りに苦労しながら苗場山の肩に出て、そこから適当に左方向に天狗の庭に向け進路を変えました。

しばらく針葉樹林帯の中を歩くとやがて視界が開け大きな湿地帯が眼前に広がりました。

まだ雪で覆われておりますが大小の池塘群は非常に素晴らしい!

人の手がほとんど及んでおらず素晴らしい自然の中のオアシスが私の眼の前に広がっております。太古の昔、尾瀬もこんな感じだったのでしょうか。

そっと雪の上を歩くようにしてこの自然の造形美の中をしばらく散策し、天狗の庭をあとにしました。

 

その後も針葉樹林帯の中にところどころ現れる小湿原。童謡に歌われているように小さな春の小川はさらさらとせせらぎ、体は疲れているのに不思議な安堵感に私は包み込まれ思わず歌を口ずさんでしまいます。「♪春の小川はさらさらいくよ 岸のすみれやレンゲの花に すーがた優しく色美しく あーおもしろい虫の声♪」なんだか歌詞がおかしいような気もしますが、とにかくここは原風景です。

 

そして再び緩い勾配の針葉樹林帯の中に入り適当な方向に進んで、昨日来た登山道があると思われる山頂台地の肩の部分と合流しました。

 

今回の山行の核心が終了しあとは下るだけ、ホッと一息つこうと最後にとっておきのフルーツを食べることにしました、今日のフルーツは南国のドラゴンフルーツというものです。

赤い皮は簡単に剥くことができ、柔らかくみずみずしい果肉を頬張りますが、味がしない、ただ水の塊を頬張っているだけの無味な果肉にがっかり。「せっかく楽しみにしていたフルーツだったのにい!」この見渡す限りどこまでも青い空の下、そしてどこまでも広く清楚で美しい苗場山の一角で、私は一人悲しみに打ちひしがれておりました。

 

苗場山麓は素晴らしい観光地でありますが、人の手が入るとどうしても山は荒れてしまいます。

せめて天狗の庭を中心としたこの山頂台地にはこれ以上人の手が入らなければいいなと、観光地化してほしくないと考えながら元来た下山路を下りました。

 

 

コースタイム

小赤沢登山口 24分 水場 2時間36分 苗場山頂一角 44分 苗場山頂 1時間40分 尾根取付き点 1時間10分 赤倉山 1時間20分 ナラズ山 35分 土舞台 1時間 西沢源頭 1時間18分 佐武流山 

 

佐武流山 35分 西沢源頭 57分 土舞台 40分 ナラズ山 58分 赤倉山 1時間4分 山頂台地肩 15分 天狗の庭 1時間18分 苗場山頂一角 1時間47分 小赤沢登山口