日時 平成23年5月2日~4日
行先 二王子岳~飯豊門内岳
はじめに
4月30日の朝の出来事、新聞を読んでいると、登山中の滑落事故の記事が載っている。
何気に読んで「あれっ!」と思い、もう一度読み直す。何度も何度も読み直すがどう考えても滑落死した人は私の友人だ。「えっ!まさか嘘だろ!」しばらくの間、放心状態に陥ってしまい会社に遅刻してしまった。会社のパソコンには事故の報告のメールが入っており、これで滑落死したのは私の友人ということが完全に判明してしまった。
それにしても恥ずかしい話、今更ながら友人を事故で亡くすということがこれほど辛いこととは思ってもいなかった。いろいろな事が頭の中を駆け巡る、真剣にもう登山をやめようかとも考えた。楽しむために登山をしているのに、こんなに悲しい思いをするのは嫌だと思ったからです。登山の世界から離れればこんな思いをしなくてもすみます。
その日はかなり気が動転しており、意味不明の行動をしていたような気がします。仕事は手に付かないが、何かしていなければ落ち着かない、仕事中にもかかわらずまったく見ず知らずの家の畑を耕したり、どういう訳か一心不乱にジャガイモの皮むきをしたりしておりました。
でもあとで落ち着いてから良く考えてみたところ、今までのように行きたい山に行くこと、自分の好きな山を自由に、自分なりに歩くことを続けることが亡くなった友人にとっても自分にとっても一番いいことなのではないかと、蒸かしたジャガイモを食べながら考えました。
5月2日
この日は友人の通夜の日です。しかし予定通り二王子~門内を決行することにしました。通夜にも葬式にも参加しないで山に行くなんてなんという罰当たりな奴なのだろうと思われるかもしれません。でも私には私なりの弔い方をしたかったことは確かです。
午前中、友人宅へ御霊前に出向き、御焼香をしてから二王子岳登山口に向かいました。
二王子岳は飯豊連峰前衛の山であり、西暦652年に知道和尚と修験者である役小角が修行のため飯豊に登り、農耕の神様である五つの王子権現を山中に祀り、その二番目の権現様を二王子岳に祀ったとされております。残りの四つの王子権現は飯豊本山周辺に祀られているそうです。現在、二王子岳の山中にも一王子や三王子が祀ってありますが、それは近年、地元民により祀られたものということです。
新発田市民がいつも麓から仰ぎ見ていた信仰の山、二王子岳ですが、こんなことを書くと皆さんには怒られるかも知れませんが、私は二王子岳が嫌いです。個人的には特別な用事がない限り二王子岳に登ることはまずありません。二王子岳と言えば、下越山岳会のホームグラウンドの山であり、新発田の故郷の山でもあり、厚い信仰のあった言わば新発田市民の守り神の山でもあります。
山体は大きくて裾野が広く長く、大変に立派な山容ですが、標高が中途半端で夏場は猛烈に暑く、また山頂付近が森林限界の境目らしく、飯豊のような美しい草原帯もほとんどありません。危険箇所がなく手軽で登りやすい山と言われているように、厳冬期でも条件さえ整えば適度に入山できる程度の山であり、自然の厳しさや神秘性などはあまり持ち合わせておらず、そんな山はつまらないと私的には感じております。
山頂からは飯豊連峰の隅から隅まで均一に見え、皆さん「飯豊が綺麗に見える良い山だね。」って言います。理屈っぽい話になりますが、それなら二王子じゃなく飯豊に行けばいいだろうと私は思います。だから今回、二王子から飯豊に向かって歩くことにしたのです。
この日の二王子はガスの中、大きな山体が災いして尾根筋が分かり難く、ただでさえ登山道は尾根筋や沢筋に複雑についているところ、今は雪で埋もれ訳が分からなくなっており、私自身めったに登らない山なので、実は非常に苦手としている山でもあり、こんな条件では道に迷いそうです。
登り始めた時刻は午後3時近くで「明るいうちに山頂小屋に入ればいいや」程度の考えで入山し「たかが二王子」となめてかかっており、登山道があると思われる場所から大きく外れ、こしあぶら探しまで始める始末。思ったとおり気がついた時にはどこにいるのかさっぱり分からなくなっておりました。
山頂と思われる方向に向かって木々が密集した藪の中に入ると目や鼻の穴に木の枝が入り痛い。しかも山頂と思われた方向を歩いていると、どんどん下っている、本当にすっかり現在地が分からなくなり、おまけに目と鼻の穴が痛くて遭難しそうだ。
少し落ち着かなければと思った時、ふとあることに気がついた。鼻水を止めるために楢枯れの木の小枝を小さく折り、片方の鼻の穴に突っ込んでみた、するとまあまあ具合がいい、両方に突っ込むと息苦しくなるので片方限定だ。
いい事に気がつきましたが、ただ道迷いに関しては未だに何も解決していない、地元山岳会の一員が二王子で道迷い遭難、しかも鼻の穴から楢の木の枝が出ていたなんてことになると、凄く恥ずかしいことになってしまいます。ここは一生懸命に勘を働かせ、何とか意地でも山頂小屋に辿り着きました。
5月3日
ようやくガスが晴れ、二王子岳山頂から飯豊連峰が美しい。
今日、私の所属する山岳会の皆さんは会山行で西俣から朳差岳に向かいます。私はできるだけ先に進み、明日皆さんと稜線のどこかで合流をしたいと目論んでおりました。できることならば今日は門内小屋まで…、「うーん難しいかな?」
凍った雪の上を、アイゼンをきしませながら二本木山へ向かいますが、すぐに笹薮の中を歩くことになり二本木山までアイゼンは着けないで行くべきでした。
二本木山からは長い下りが続きます、尾根は右へ延びておりますが、二本木山から三つ目のピークで左の尾根にのらなければなりません。幸い天気が良く、間違うことはありませんでした。最低鞍部まで下りきると雷岳の登り返しの付近から時々、藪を歩くことになります。藪を避けるためにトラバースを試みたり、まっすぐに最短の歩きやすいところを考えて藪に突入したりと、いろいろ考えながら歩く登山を楽しみます。
今年は雪解けが遅れ、藪歩きはそれほどないだろうと予測しておりましたが、そんなことはまったくなく、うんざりするほど藪歩きを堪能させてくれました。
おまけに先日、大変に物凄く一生懸命にジャガイモの皮むきをしたからなのか、妙に手首が痛い。
尾根の細くなっている箇所は雪解けが早く、植物の勢力分布により春の陽射しを受ける雪解けの早い箇所は灌木が優勢になるので大変にやっかいです。桝取倉山を越え、ヤンゲン峰手前まで灌木が大歓迎をしてくれました。
雪面が広がるヤンゲン峰で一息つき、その後も雪面と灌木帯は交互に現れ、さらに疲れた体に赤津山の長い急な登りが追い討ちをかけます。ヤンゲン峰から赤津山間の尾根は飯豊の稜線とほぼ並行に延びており、歩いても歩いても飯豊が近づきません。
遠回りしながら最後の急坂を必至で登り、やっとの思いで赤津山頂に辿り着きました。
赤津山と言えば私自身、思い出すことが…。以前に私の所属する山岳会の会長をされておられた方で、飯豊道等の本を出版されていて、全国的にも大変に有名で偉大な登山家で、私などにとっては伝説の人でしたが、なんと私がその方と対談をし、広報新発田に掲載するという企画が組まれることになりました。対談などと言うと大変におこがましい話で、当時まだ20代半ばだった若僧の私が質問をし、その方が答えるといった形式内容の対談でした。市役所の職員が「秋の行楽にファミリー登山に最適な山はどこですか?」の質問にその方は赤津山と答えて、私が思わず「えー!そんな馬鹿な!」と言ってしまったことを思い出してしまいます。
赤津山から二王子を振り返ると尾根がくねくねと曲がりここまで随分と遠回りさせられていることに気が付きます。二王子~門内はこの赤津山までが藪歩きが多くあり、また飯豊山塊とは思えないほど上り下りが頻繁にあり、とても苦労しました。しかし赤津山からは本来の飯豊らしい山容に変わり、千石平や万石平と言われるように、尾根は広がり、おおらかで気持ちの良い山歩きになります。そのおおらかな尾根のすぐ目の前には大日岳と北股岳が大きく見え、大変に素晴らしい。
しかし景色をゆっくり見ているような心にゆとりがなく、明日は会の皆さんと合流したいと思う気持ちと、今日は何とか門内まで行きたいと思う一心で、自分でも知らず知らずのうちに早歩きになっていてバテバテの状態になりながらも足腰にムチを打ち、前へ前へと急ぎました。
歩きやすい雪面に変わり「このペースだと今日中に門内は可能かもしれない」と淡い期待を抱きましたが、藤十郎山手前の藪に早くも暗雲がたれ込みはじめます。目の前には二ツ峰が立ちはだかり、その奥に飯豊連峰が大きく見上げるほどになってきております。
丸子カルを思わせるなだらかな藤十郎山で一息つき、さらに進むと広い尾根の真ん中に大きな庭石があり「ああ、ここが岩崩レだな」とすぐに分かる。その庭石を越えると、また藪の頻度が多くなり、さらに岩っぽい尾根になり、アイゼンを着けての藪、岩はとても歩きにくいものでした。それでも二ツ峰の登り手前までは門内を諦めませんでしたが、それがとても甘い考えだということは二ツ峰の猛烈な藪を半分くらいまで登った時に気がつきました。藪を避けるため尾根から外れ、雪崩の脅威にさらされながら急な雪の斜面を急いで登る、しかし足が前に出ない、疲労は限界にきているようだ。何とか最後の力を振り絞り、結局二つ峰の登りに1時間半近くも費やし山頂に立ちました。
鎖を伝って藤七の池に下り立つ頃、テン場に最適なこの場所で「今日の行動はここまでで十分だよ」、「残りの最後の門内岳までの登りは明日にしなよ」と疲れきった体が残念がる自分の気持ちを悟らせる。確かにここまで来れば会の皆さんとは明日、余裕で稜線のどこかで会える。
雪で埋もれ、さらに四方を雪の壁で囲まれた藤七の池の中にテントを張り、静かに夜のとばりを迎えました。珍しいくらい風ひとつなく、まったく物音のしない静けさの中で、亡くなった友人に「予定通り山に来ました、これでいいですよね?」と問いかけてみる。相変わらず夜は静かなまま更けていきました。
5月4日
昨晩は藤七の池のど真ん中でテントを張ったものだから風が無く大変に居心地の良いテン場となり、疲れた体はかなり癒されました。この静かな池の真ん中で気持ち良く用を足す。生息するモリアオガエルや山椒魚さんごめんなさい、でももしかしたら栄養補給になっているかもしれない。
それにしても今年のゴールデンウィークは気温のせいなのか、ブヨが発生してなくて助かります。以前に、ブヨが大量発生した時に用を足していたら、大事なところが刺されてしまい大きく腫れ上がったことがありました。「腫れて良かったね」と皆さんは言いましたが、とんでもない!痒くて大変なものでした。
さて、今日はこれから最後の急登を登りきれば待望の門内岳です。しかしこれがまた一筋縄でいかない、長い長い急坂を手前のニセ門内に騙されたりしながら、藤七の池から1時間半もかかって、ようやく門内岳山頂に着きました。
途中でNさんと無線交信し、頼母木小屋で合流ということになりました。
門内小屋で久しぶりに人と会ったら、それがまた中条のKさんで、頼母木小屋まで御一緒していただきました。
「それにしても稜線に出ると天国だ!今までは何だったんだろう?大変に歩きやすい!」飯豊の稜線のおおらかさを実感します。
頼母木小屋で会山行の皆さんを待ちながら、Kさんから二王子~門内の完登をビールで祝福していただく。Kさんと言えば新潟県を代表するほどの登山家であり、いろいろお話しをお伺いしていると面白いし、勉強になる。
時間がきてKさんは下山をするが、当会の皆さんはまだ来ない。仕方なくまたビールに手が伸びる。少し酔い加減になった頃ようやくNさんが到着、楽しい仲間がポポポポーンとやって来た。それでもまだ会山行の8人のうち5人の皆さんは到着しましたが、残りの3名様は二日酔いで遅れるんだそうな。結局、昼近くまで4時間くらい待って、やっと残りの3人の皆さんと合流。おかげ様で疲れた体を休めることができたうえに、仮眠をとることができて気持ちが良かった…、ということにしときましょう。
さんざん4時間も待たされたあげく、いやいや頼母木小屋でゆっくり休憩させてもらっていると、皆さん今日は通夜があるということで、今度は急いで下山しなければならないという、踏んだり蹴ったりで目まぐるしい、いやいや楽しい一日になりました。
おわりに
帰りの車の中で居眠り運転防止のためSさんが私の運転する車に同乗してくれました。その車中の会話の中で、今のような登山形態が確立される以前は「山は好奇心で登ったもの」、「探検とか冒険心で登ったもの」と言われておられました。
今の私がその通りで、いつまでも好奇心や探検心、冒険心を持ち続けたい。その気持ちがなくなったら、その時点で私の登山人生も幕が下りるのだろう。
これからも体が許す限り、自分なりに思うままの山登りを続けていこうと、再度自分に、そして亡くなった友人に誓ったのでした。
最後に、亡くなった友人には心から御冥福を祈ります。近々、花と線香を持って事故現場の山へ行って、ちゃんと最後のお別れをしてこようと考えています。「まだ魂は現場に居るのでしょうか?リュックサックは人がスッポリ入る100リッターで行かなくっちゃ。」
また、事故当時に御同行されていた人たちのことを思うと大変に強く心が痛みます。皆さん早く元気を取り戻し、またいつか、どこかの山へ御一緒できるようになれればなって思います。
コースタイム
5月2日
二王子神社3時間5分二王子岳
5月3日
二王子岳1時間二本木山33分雷峰30分桝倉取山1時間39分ヤンゲン峰1時間47分赤津山1時間13分藤十郎山3時間52分二ツ峰10分藤七の池
5月4日
藤七の池1時間30分門内岳 ここから先は記録してません。