安達太良山
平成24年3月4日
私事で大変に恐縮な話になりますが、ここしばらく仕事上の悩みがあって、精神的に安定していない時は文章を書く気になれず、特に山にも登ってなかったということもあってしばらくの間ホームページの更新が滞っておりました。
山に行けない時は途中まで書いてストックしていた道具の話その3でも仕上げて掲載しようと思いましたが、ほんの少しでも精神的に何かあると文章を書く気になれず、無理に書こうと思っても文章がなかなか浮かんできません、つくづくブログやホームページを長く続けておられる人は立派だなと思いました。
2月は最初の休日に唐松岳に行ったきり、登山という登山はしておりませんでした。
山には登らなかったものの山岳会が主催するスノーシュー体験会や自分としては珍しく冬山技術講習会といった県山共の行事に参加したりしておりました。
実のところ私はあまり人が大勢集まるところは苦手な方でして、自分にとって山とは人間社会から隔絶された静かなところであり、趣味に没頭しているときくらい普段の人間社会から離れたいと思い人の集まるところを避けるようにしていたら、いつのまにか人の多いところが苦手になってしまいました。
しかしいくら趣味だからといってもあまり人を避けるような行動をとっていると一般社会でも人付き合いが下手くそになってしまうといった弊害がでてしまうようで、それが私自身の仕事の不調へとつながってしまったような気がしています。
このままではよくありませんし、ちょっとした好奇心もあったわけで、それにだからといって嫌いということでもないので今回はいろいろと行事に参加してみました。
それからこの期間に藪山ネットの顔合わせ会もありました。
久しぶりに集まる藪山好きの人たちは皆さんそれぞれ山の奥深くまで知り尽くしている人たちで、登山という概念を超えた山の楽しみ方を知っている達人たちの集まりです。
あのありあまる知識や経験は幼稚な私では到底計り知ることができません。
山という人間社会からかけ離れた自然に対し素朴に向かい合う姿勢が私はとても大好きです。
さて本題の安達太良山の話に移ります。
安達太良山は日本百名山に選出されていてスキー場からも通年営業のゴンドラリフトが設置されていて初心者でも比較的登りやすく大変に人気のある山ですが、それ以上に高村光太郎の純愛詩集である智恵子抄が安達太良山の名前を一躍有名にしているものだと思います。
そういえば私がまだ若かりし純真無垢だった青年の頃、当時純愛を抱いていた人と安達太良山に行く約束をしたことが思い出されます。(すいません、本当に私事で…。)
その彼女が安達太良山の登山計画書を作成し、それを見せてもらいましたが、その計画書の山名は安達太郎山(あだちたろうさん)となっていて笑ってしまったことがありました。
ただ山名由来を調べてみるとまんざらそれは間違いでもなかったようで、昔の人は付近にある一番高い山を太郎と呼ぶことがあるのだそうですが、安達太良山は安達郡の一番高い山で安達太郎が安達太良になったという説があるそうです。
ただ山名由来は他にもいろいろあり、すぐ隣の鉄山近くには名前のとおり鉄の採取跡が残っていて、製鉄法のことをたたらというところから山名がきているという説が一番有力とされているようです。
山頂には農業の神様で飯豊権現の別神ともいわれている安多羅大明神が祀られていて、山腹には粟まき法師の雪形が現れ、それを目安に麓の人々は粟の種まきを始めたそうです。
私自身、この安達太良山は夏に2回行ったことがある程度で、冬に登るのは今回が初めてになります。
冬の安達太良山は登山対象としても時期になると多くの雑誌等に紹介され、一年を通じて多くの人に登られている山です。
今日の天気は快晴の予報、人が多く入山することが見込まれ、前日にくろがね小屋に泊まって山頂を目指す人を含めると大変な人出が予測されます。
今の私にとって大勢の人前に出るには絶好の訓練となりました。
山自体は太平洋気候の影響下にある山なので積雪もそれほどなく、登山自体はあまり厳しいものではないことは簡単に予測できましたが、とにかく冬に一度登っておきたいと前々から思っていた山でした。
登山口は安達太良高原スキー場のある奥岳登山口です。
スキー場の無料大駐車場に車を止めて歩き始めます。ゲレンデのすぐ脇を歩きますが、雪は踏み固められていて、一応ワカンをザックに括り付けてはいるもののまったく必要ありません。このままワカンは不要なのではないかと思いながら多少の歩きにくさはありましたがしっかりとした踏み跡を辿り、勢至平というところまできました。
勢至平からは篭山、安達太良山、矢筈森の三つのピークが見えます。
踏み跡はこのままくろがね小屋経由で山頂まで続いているのでしょうけれど、ひねくれ者の私は踏み跡を外れ、山頂の手前にある篭山という岩塔へ一気に登ってそこから山頂を目指すルートをとりました。理由は単純に近道だからです。この斜面や積雪を勘案しても危険箇所は皆無でした。
さすがにそこからはワカンを着け、膝程度のラッセルはありましたが、僅か2時間程度で篭山に着き、そこからひと踏ん張りで山頂に着くことができました。
山頂からはまるで月面にでも降り立ったかのようなとても不思議な、他の山には見られない光景が広がっています。
時間はまだ9時40分、晴天の下で予想通り山頂は多くの登山者で賑わっておりました。
私はいろいろな人といろいろなことを話しましたが、やはり楽しいものです。話に夢中になり、気が付くと時刻は11時をまわっております、あまりにも素晴らしい景色と皆さんとの楽しい会話で山頂を後にするのがもったいなく思ってしまいました。
結局、矢筈森まで行って、そこでも暫し休憩し12時を過ぎた頃にようやく下山を始めました。
下山は山頂で仲良くなった4人とずっと最後まで話に夢中になりながらわいわいと賑やかにスキー場まで一緒に下りましたが、最後は別れを惜しんでしばらく帰れないほどでした。
私はいつも一人で黙々と山に登り、誰とも会うことなく自然とのみ対話して登山を楽しんできました。でもたまにこういった登山もいいものです。
幸いにも少々難しいような山や登山道が無く登頂記録もほとんど無いような山など、概ねどんなところにでも一人で行くこと、あるいは向かおうとすることができます。
今はせっかく一人でどこにでも行こうとすることができるのだから「友達作りなんて尾瀬と同じで年取ってからでいいや」なんて思っておりましたが、時々は人が多く集まるところにも出なければいけないなと思っている今日この頃です。
ちょっと余談話になりますが、先日、友達の付き合いで手相占いをしてもらうことがありました。私はこの類のものはあまり信じない方ですが、無料出張鑑定ということで「まあ暇つぶしにちょうどいいや」ってことで占ってもらうことにしました。待合室に入ると大勢の女性客であふれていて結構な時間待たされます。
占い師は男性と女性の二名の方が出張で来ていて、私の順番がまわってきて小さな小部屋に入ると女性の方の占い師が奥で待っておりました。
しかしあろうことか彼女は胸の谷間を強調するような服を着ており、大きなその胸が挨拶したときにゆっさゆっさと揺れました。「なんでこんな服を着てくるんだろう?困ったなあ」。私は小さな机をはさんで女性占い師と向かい合って座りましたが目のやり場に困ります。
「では手相を拝見させてください」、彼女に言われるままに手をさし出し、自分の手の方を見るとギョッとした。彼女の胸の谷間が私の視線の先にもろに入ってくる。彼女が少し動くたびに谷間がプルプルと振るえて、私は鼻血が出そうです。
もう何が何だか分からなくなった私のそんな心情を知ってか知らずか、たぶん彼女は私の手相を見ながら仕事運、健康運、金運、恋愛運を話したのだろうと思いますがお陰でまったく何を言われたのか覚えておりません。
無事に鑑定が終わり、動揺して恥ずかしさのあまりしどろもどろになりながら「あっありがとうございました」とやっとお礼を言った私はまだまだあの頃の純真無垢な青年のままのようでした。
よれよれになりながらようやく小部屋から立ち去ろうとした時、最後に占い師に「あなたはとても素敵な方です、自身を持ってくださいね」と言われたことだけは良く覚えております。
どこからそんな話になったのかは本当に覚えていないのですが、いずれにしても私は素敵な人みたいです。
そんな素敵な私と山岳協会の講習会や親睦会などでお会いしまいたらもしかして声を掛けるかもしれません、そしたら仲良くしてくださいね。
「うーんでもなー、どうせ講習会とか親睦会とか行ってもほとんどお爺さんばっかなんだよなー!」
コースタイム
新発田 2時間 二本松IC 40分 奥岳登山口 2時間40分 山頂
下山は話しに夢中になり記録していません。ちなみにくろがね小屋経由で下りました。
多分、登りと同じくらいかかって下りました。