門内小屋の管理人2020

 

私は年に1度か2度程度の割合で飯豊連峰の門内小屋の管理人に就きます。

随分と長い間ホームページを更新していないということもあり、9月の4連休に門内小屋の管理人を務めてきたので、それを山行文として書いてみることにしました。

 

今年はコロナの影響で胎内市管理の山小屋は常駐管理せずに平日に巡回管理ということで運営をすることになりました。

従って私が今回の4連休に門内小屋に管理人として入るということは特別扱いということになります。

いわゆる非公認の管理人業務ということで入らせてもらうことになったわけです。

しかしいくら非公認といっても4連休中の管理業務はできる限り通常通り実施ということで臨むことになりました。

9月の半ばと言えば、花が終わり、紅葉にはまだ早く、見どころが少ない時期ではありますが、天気予報はまあまあだし、とにかく4連休ということで多くの登山客が見込まれました。

また、例年通り門内小屋が大好きで、いつも世話になっているから小屋掃除をさせてほしいとのことで雪野さんも臨時管理人よろしく御同行していただけることとなりました。

 

9月19日

暑かった季節が終わりようやく秋の気配が訪れ始めた梶川尾根にひとたび足を踏み入れるとひんやりとした風が吹き抜けていきます。

前回は8月に門内小屋に入りましたが、その時はあまりにも暑くて地獄のようでした。

体中から吹き出るように水分が流れ落ち、寝不足とバテからなのか休憩するたびにこっくりこっくりと寝そうになり、歩いていても強い眠気に襲われたりしてかなり苦しんで登りましたが、それに比べて今回は随分と楽になり、肌寒さを感じるほどの空気の中、歩きやすくなった梶川尾根を悠々と登ることができました。

ただ夏の疲れがまだ下痢という形で残っていて、踏ん張るたびに漏らしそうになりますが雪野さんが一緒だったので漏らすことができずに途中で採取したトンビマイタケ等のキノコと雪野さんと共に、いざ門内小屋へと辿り着きました。

ちなみに国立公園内での植物採取は禁じられておりますが、キノコは植物ではなくカビと見なされているので採取についてはまったく問題ありません。

とにもかくにも雪野さんがいなかったら漏らしてしまうところ、無事に漏らさずに門内小屋に到着してしまえば、私はあっという間に山小屋の管理人へと変身します。

山小屋の管理人と言えばちょっと偏屈だけど優しくて頼もしく、山の事なら何でも知っているおじさんといったイメージですが、私の場合はおじさんではなくお兄さんとなります。

到着すると息つく暇もなく管理棟を開放してテン場や宿泊棟を確認して登山客が来るのを待ちますが、その前に水場へと向かい、採取したキノコを洗いました。

キノコ類はただでさえ繊維質が強くて消化が悪いと聞きます、中でもトンビマイタケは繊維質が強そうなのでさらに下痢が酷くなりそうでしたが、あの強い香りに誘われて夕御飯が楽しみになります。

さて、いよいよ3泊4日の管理人がスタートしたわけですが、初日の今日は残念ながら飯豊の稜線は強風とガスにまみれて景色を見ることができません。

そんな悪条件の中、宿泊者がやってきますがやはり今日のところは少ないようです。

19日はテントが一張のみ、小屋宿泊者が5人でした。

夕方4時を過ぎると山を覆いつくしていたガスが徐々に切れるようになり、目の前には圧巻の景色が現れるようになります。

登山者全員が門内小屋の脇に集い、ようやく見えるようになった景色に感動しています。

「わー、綺麗!」などといった歓声が沸き上がると私も嬉しくなってきます。

門内は景色としてはすこぶる良いところであり、水場が遠くて不便だとか最高峰の大日岳や百名山である飯豊本山、二百名山のエブリ差岳から離れており、通過されやすい山小屋ではありますが、小屋付近から見える景色は大変に素晴らしく、特に夕刻に見える景色は随一であると思います。

特に今夜は空気が澄んでいて、夜景がとても綺麗に見えました。

それにしても近年の宿泊者の皆さんは宴会をしないのでしょうか?

1年か2年くらい前なら、登山者で溢れた山小屋は遅くまで宴が響いていたものです。

私は夜の帳が下りるとともに静かになる山小屋に困惑しながらも、管理棟で雪野さんとトンビマイタケを肴に宴会を始めました。

しかし、あまりにも静かな夜につられてしまい、ほどほどに切り上げて眠りにつきました。

 

9月20日

今日の飯豊は相変わらず強風とガスに覆われております。

登山者は晴れていれば心弾ませながらルンルン気分で出発するところ、悪天候のせいで重くなった足をなかなか動かそうとしません。

この天気のお陰でテンションが下がり気味の中、ようやく重い足取りでぽつりぽつりと発つ登山客。

山としては遅めの朝立ちでしたが、テントの男性と小屋に泊まった連れの女性が昼頃に出発したのを最後に、全員が次の目的地へと向かいました。

それにしても最後に出発した御二方はSNS上で知り合ったような希薄な関係でもなかろうに、せっかく一緒に山に来ているのに別々に宿泊し、御飯とかも一緒に食べることがなかったものですから「もしかしたらこれが最近の登山スタイルなのかもしれない」なんてことを考えさせられました。

くだらない私の老婆心からくる余計なおせっかいということは自分でも重々承知しているつもりなのですが、やはり天気が悪かったことなどもあって、楽しまれているのかな?なんて少し心配になってしまいました。

管理人業務としては、以前から気になっていた老朽化した窓が風によりがたがたと音をたててうるさかったので、その窓のがたつきを押さえる修理をしただけで午前がすぎました。

お客さんがいなくなった午後から雪野さんが宿泊棟を万遍なく掃除をしてくれて、私はトイレの掃除をし、一通り終わって昼ご飯を食べようとする頃、今宵の宿を求めた人たちが続々とやってきました。

途中、東京から来たという団体の登山客が梅花皮小屋に泊まるということでトイレだけを借りて通過していきました。

決して差別してはいけないのですがコロナ渦のこの時期に東京から来られたと聞くと他の登山客のみならず私でさえついつい警戒してしまうというのが正直なところ。

これは東京の方に限ったことではありませんが、このご時世のマナーとして、歩いている時は仕方がないとしても、せめて休憩時にはマスクを着用してほしいと思いました。

門内小屋を管理する胎内市からも管理人は接客時にマスクを着用するようにといった指導がありましたが、そういう私もうっかりマスクをつけ忘れていたわけでありますが・・・。

今日の宿泊者はテント5張、宿泊棟8人という連休時のわりに少なめのお客様でした。

そして夕刻、まるで台本があるかのように決まってそれまで覆っていたガスが流れ、急速に空が澄み渡ります。

飯豊の盟主のひとつである北股岳が雲を従えながらもその雄大な姿を現し、日本海に沈む夕日に赤く燃やされるころ、宿泊者の皆さんは一斉に外に飛び出して貴重な時間を共有することになります。

それまでガスにまかれて見ることができなかった鬱憤を晴らすかのように次から次へと上がる歓声、門内小屋周辺はしばし歓喜の渦へと巻き込まれます。

やがて空と北股岳を焦がした強い赤みは薄れ、入れ代わりにぽつりぽつりと町の明かりが灯るころ、今夜はフィナーレとなって再び山は静まり返ります。

漆黒のなか、やはり小屋から宴を聞くことはなく、私はトンビマイタケを噛み千切りながら、静かに夜は更けて行きました。

 

9月21日

今朝も同じようにガスが襲来しておりましたが、今までに比べて薄めとなっており、時折その隙間から青空が見え、いくらか期待が持てるような空模様となっておりました。

ガスにまかれた山の姿に皆さん意気消沈しているようでしたが、「しばらく待てば必ずガスが晴れると思いますよ。」と出発前の一人一人に声を掛け、励まして今日一日がスタートとしました。

今日は皆さん早めの出発で、早朝から掃除をはじめることができました。

掃除をしている途中で、山を覆っていたガスが一気に晴れはじめ、清々しい青空が広がってきました。

門内小屋で休憩中の通過者もそれまでの仏頂面が見る見るうちににこやかな面持ちへと変化しています、「やはり山は晴天が一番だな」と思いました。

早々に役目を終えた我々も「まあ暇だし、今回は非公認ということで北股岳にでも行って来よう、午前中のうちに帰ってこられる時間だし」ということで、「管理人は作業のため不在」と書かれた標識を管理棟にぶら下げて、ふらふらと門内岳を越えて北股岳を目指して荒涼とした秋風漂うギルダ原を進んで行きました。

北股岳に向かい始めてすぐに門内岳を振り返ると、まだ午前10時過ぎなのに早くも2張りの新たなテントが見え、今日は多くの宿泊者が来そうな気がします。

爽やかな秋晴れが広がる中、気持ち良く歩いていると、私に「なんか歌を歌って」と言う雪野さんですが、確かに歌でも歌いたくなるような陽気となりましたが、どうにもこうにも下痢が治まっていない私はトンビマイタケの力なのか、さらにパワーアップした下痢に気を緩めることはできず、そんな状況下で歌など歌えるはずもありませんでした。

しかも下痢が原因だと思うのですが痔にもなっており、少々の痛みがあります。

歌うだとか歌わないだとか押問答を続けながらも北股岳は徐々に近づき、そうこうするうちに久しぶりの北股岳の山頂に到着しました。

飯豊連峰では大日岳、飯豊本山についで標高の高い北股岳は飯豊の盟主でもあり、連峰の中央に大きく聳えている重厚な姿は、ある意味飯豊を象徴するかのような存在であります。

特に新発田市から直登ルート(現在は未整備)があったことから、北股岳は新潟県側から親しまれていたところのように思います。

新発田市からのルートである大犬の逆尾根(オウインの尾根と読む)の大犬はオオカミのことを言い、逆尾根は笹尾根の書き間違いとのことですが、古い地図を見ると登山基地である湯の平温泉からこのオウインの尾根に登山道は無く、その代わり飯豊川沿いに登拝路が付けられており、その道は御手洗いの池あたりにまで続いているのが書かれています。

聞いた話では新潟県の人たちは、昔はこの登拝路を伝って飯豊に登り、ようやく稜線に辿り着いて、そこにあった池で手を洗ったとのことで、その池は御手洗いの池と名付けられたとのことです。

昭和入ってから書かれた記録を読んでみると「北股岳へは這い松や灌木の中を進んで大藪に苦労してようやく登頂した」との記述があり、これを読む限り北股岳に登山道が付けられたのはごく近年のことというのが分かります。

真偽は別として修験者によって西暦652年に開山されたとされる飯豊本山あたりの南部に比べて飯豊の北部は未開の地であったことを伺い知ることができます。

私自身としては正月に単独で北股岳を目指して何度も挑戦し、結果その目的を二度叶えることに成功しておりますが、二度目の登頂とともにその情熱は消え、それ以来ここを訪れることはなくなってしまいました。

今回は不意に訪れることとなりましたが、久しぶりの北股岳は当時のその熱い思いを甦らせてくれました。

山頂では管理人業務のことは暫しの間忘れて、秋の空気に包まれた北股岳を楽しんで門内小屋へと戻りました。

小屋に戻るころには再び黒い雲が沸き出し、稜線はあっという間にガスにまかれてしまいました、北股岳にはちょうどタイミングよく行ってこれたようです。

それからぽつりぽつりとですが、休む間もなく宿泊客がやってきましたが、結局のところ今日も昨日とまったく同じテント5張、小屋の宿泊者8人となりました。

後日に聞いた話、この日の他の小屋は小屋泊りもテント泊も満杯に近い状態だったようで大盛況のようでしたが、何故か門内小屋は宿泊する人が少なくて、しかも今年に限ってはコロナの影響で飲み物や地図、バッジといった記念品の販売もしないため、管理人としては忙しくなくて楽ができ、これはある意味良いことなのですが、やはり寂しいように思います

夕刻が近づくと人の往来が終わり、一息ついたころに三度訪れる集いの時間。

この日もいつもと同じように夕暮れが迫り始めるころ、それまで峰々を覆っていたガスがまるで生き物のように動き始め、劇的に変化する景色、すっかり姿を現した飯豊の峰々は宿泊者の方々をいつまでも魅了してやまないようでした。

今宵の宿泊棟は相変わらず宴会をしている様子はありませんでしたが夜景と星空を見る人で結構遅い時間まで賑やかだったようです。

私と雪野さんも時々トイレに行きながら夜景と星空を眺めながら、残り少なくなった荷上げ品のアルコールをすべて飲み干し、酒の肴に採取してきたキノコもすっかり食べつくして寝床へとつきました。

 

9月22日

今日は雲が多めながらもガスは無く、飯豊の全貌を見ることができましたが、とても残念なことに下山しなければなりません。

初秋の澄んだ空気に意気揚々、天気が良いと登山者の朝は無意識のうちに早くなっているようです。

ようやく見えた景色を名残惜しむように帰り支度を始める多くの登山者と同じ気持ちで我々もこの飯豊を後にしなければなりません。

早々に出発する登山者を見送って掃除を一通り済ませてから、我々も管理棟を閉め、思いのほか静かだった門内小屋ともこれでしばらくの間お別れです。

今日はせっかくの天気なので下山は梶川尾根ではなく丸森尾根をまわることにしましたが、またしても「歌をうたって」という雪野さんの御希望に、私の下痢と痔は悪化の一途を辿る一方ではありましたが「下山するだけなのでお漏らしも少しくらいいいか」という気持ちになり、非常に危険な状態の中で今日こそは少しだけでしたがリクエストにお答えしながら、無事に飯豊山荘の駐車場へと下りることができました。

それにしても久しぶりに歩いた丸森尾根でしたが、相変わらず急な尾根で、特に今回は足だけではなく腹の踏ん張り箇所が盛りだくさんでした。

 

あっという間に過ぎ去った三泊四日の管理人生活でしたが、飯豊は客層が明らかに変わってきているように感じさせられました。

以前より明らかに登山客の年齢層は下がり、また女性客が増えているように思います。

近年、飯豊は雑誌に多く掲載され、テレビでもよく見かけるようになり、特に今年はコロナ禍からなのか今までは北アルプスあたりの都会の山を訪れていた方たちが飯豊を訪れるようになったのも要因のひとつなのではないかと思われます。

前述した山小屋の晩餐については今年に入って頼母木小屋やエブリ差小屋で早々に就寝したい宿泊者と宴会をしたい宿泊者との間でトラブルがあったとの報告が入っています。

山小屋の朝は早く、翌日のことを考えても早めの就寝はいた仕方ないものであり、遅くまで宴会をされることは控えるべきであると思うのですが、それにしても夕方6時ころから寝袋に入る人がおられますが、いくらなんでも消灯を6時にするのはあまりに早すぎるのではないかと思います。

宴会することが悪いと思えませんし、また早く寝ることももちろん悪いとは思えません。

私個人的には夜8時までなら宴会OKという風に考えて宿泊者と接している次第であります。

都会の山と違い、地域性の高い飯豊は飯豊なりのルールがあるように思います。

飯豊に限らずどこの山でも少なからず地域性というもの存在すると思うのですが、都会の山々のルールに慣れた人たちはそんな地域性をある程度は尊重してほしいと願う一方で、古くから飯豊に登ってこの地域の山の登り方に慣れ親しんできた人たちは都会から訪れる方たちに理解を示してほしいと願います。

 

最後に、幸か不幸か他の山小屋に比べて立地場所の都合等により門内小屋は登山者にとって通過するだけの小屋となる場合が多く、宿泊者も極めて少ないように思います。

私が門内小屋の管理人をしているから言うわけではありませんが、最初に書いたように他の小屋に比べてここは景色が良いように思います。

確かに水場といった観点からすると、行きはゆっくり歩いて5分、帰りは7分前後かかり、水場が目の前にある隣の頼母木小屋やあるいは梅花皮小屋に比べればとても不便に思えます。

しかしそんな不便さも含めて連峰中では一番静かで本当の飯豊を満喫するには最良のところのように思えます。

雑誌やテレビに紹介されるに従い増加する登山者を尻目に、静かな佇まいが守られている門内は最も飯豊らしい飯豊であり、変化していく飯豊連峰に於いて本当の飯豊を満喫したいと思うのであれば門内小屋を基点にするのが一番いいのではないかと、今回の管理人を終えて思いました。

 

新潟県が管轄する稜線上の避難小屋は御西小屋、頼母木小屋、エブリ差小屋、門内小屋の4棟があり、昭和52年建設の門内小屋はその中で一番古くて老朽化も進んでおります。

それぞれどの小屋にも同じことが言えるのですが、厳しい気象にさらされて毎年のように破損が報告され、他にもし尿問題などといった問題点を多く抱えながら、各山小屋の管理人さんの努力により、どうにかこうにか廃墟化を免れているような状況です。

また、私が普段勤務している会社では新潟県からそんな山小屋の修理工事を請け負っていて、私自身も管理人以外で山小屋修理という形で随分と携わらせていただいている次第です。

 

長い年月に渡り登山者を守り続けてきた山小屋はこれからもずっと厳しい気象に耐えながら、いつまでも登山者を守り続けていてほしいと願う一方、他の管理人さんの努力に比べれば私などほんの僅かではありますが、できる限り山小屋存続のためにできるだけのことはさせていただきたいと思っております。