平成31年2月11日、令和1年11月10日
下田山塊 猿ヶ城
守門岳脇に聳える烏帽子山に登ろうと考え、とりあえず八十里越の状況を確かめておきたいと考えていたところ、雪野さんという私の数少ない山友達と真夏の暑い日にその偵察を兼ねて番屋山に登ってきました。
下山後、吉ヶ平山荘に立ち寄り、吉ヶ平トレッキングガイドマップという冊子をいただいて眺めていると、その地図上には番屋山へ延びる登山道の途中から猿ヶ城に向かって破線が書かれているのを見つけました。
それによると破線は踏跡・廃道と書かれていましたが、それがまた冒険心をくすぐる訳でありまして、そんなものを見つけてしまったものですから「こりゃあ、こっちから猿ヶ城に登らなきゃいけねえな」といった使命感が沸々とこみ上げてきました。
猿ヶ城はよく冬期か残雪期に遅場集落から登られているようですが、この由緒正しい歴史の道である八十里越側から登られたという記録は見当たらず、そんなこともあって、どうしても秋にこちら側から登りたいと思うようになりました。
当然、雪野さんも同じ気持ちになっていて、行くときは御一緒にということで約束を交わした次第でおりました。
守門岳脇の烏帽子山は無事に予定通りその年の秋に登ることができましたが、猿ヶ城は計画を立てるも、休日と晴れが重ならず結局その年は断念せざるを得ませんでした。
そこで、とりあえず冬期に遅場集落から登ってみることにしました。
このルートは皆さんに登られている、言わば定番ルートとなっております。
雪野さんの運転する車にゆられて遅場集落へと向かい、適当に車を停められそうなところに乗り入れ、そこから目の前の尾根へと取り付きました。
遅場集落から延びる尾根はどうせ一つしかなく、どこから取り付いても同じだろうから、登り始めは車を停めた場所からということにしました。
尾根上に出るまで最初の少しだけは急登になります。
我慢してその急坂を登り終えるとあとはだらだらとした緩い登りが長く続きます。
登り始めは杉林ですが、すぐにブナとナラの混成林となって、広い尾根には時折見事なブナの大木が見られます。
雪の深さは多いところで膝下、雪の締まったところは脛程度となっていて、寒波襲来中のわりに楽なラッセルとなりました。
尾根は僅かな区間で急な場所がありましたが、ほぼなだらかな登りとなっていて、これには非常に助かりました。
私自身、毎年正月に朝日連峰に登るのが恒例となっているのですが、そのトレーニング中に左ふくらはぎを肉離れしてしまい、3ヶ月間程度安静が必要ということで正月の朝日連峰は諦め、今回が久しぶりの山登りということで、体力面はもちろんのこと、良くなりかけたふくらはぎの肉離れ再発などといった不安要素が盛りだくさんで歩いておりました。
終始、広くなだらかな尾根を病み上がりというより病み最中の体でラッセルに励むも、それほど厳しい場所がないまま運動不足解消にちょうどいい程度で汗をかいて山頂へと到着することができました。
吉ヶ平の裏山として急峻な岩肌を露わにして聳え、猿のお城に例えられた岩峰も今は雪に埋もれて白い峰となっております。
この日は寒波襲来の中で思いもかけぬ晴天に恵まれ、良い登山日和の中での登頂となりましたが、あくまで来秋に訪れるための偵察ということで、山頂で寒さに凍えながらもゆっくり昼食を食べながら本番に登る尾根を眺めてから下山してきました。
それから数ヶ月の月日が流れ、猛暑だった夏が過ぎて季節は秋へと移り始めるころ、雪野さんと「猿ヶ城、秋になったら必ず行こうね。」と何度も約束したことが頭をよぎるようになります。
そしてどちらからともなく約束を果たすべく再び連絡を取り合って猿ヶ城の計画を立てますが、週末になると台風が襲来し、なかなかチャンスが巡ってきません。
そんな折、吉ヶ平に通じる林道が閉鎖される直前の休日にようやく晴れ予報が重なり、お互い1年以上も前から心の中で温めていたことが最後の最後で実現する運びとなりました。
山登りをしていると、時として思いを果たすまでに数年もの月日を費やすことがありますが、今回の猿ヶ城も1年以上の時を経ていよいよ約束の地(プロミストランド)へと向かう朝がやってまいりました。
山行当日は前日の雨が朝方まで残り、吉ヶ平山荘の駐車場で雨が止むまでしばらく待機してから出発しました。
普通に登山道があるところなら雨具は着ないで済むのですが、さすがに雨上がり直後の藪歩きでは雨具を着ないわけにはいきません。
道の無いところを歩くとき通常は安いものを着用するのですが、今日の雨具は上下で2万円近くもした物を持ってきてしまっていて、これには大失敗です。
雨具が汚れると悪いので雨具の上から百円ショップで買ってきた用務員さんがよく使っているアームカバーを着用して歩きました、これで腕の部分だけでも雨具を保護できます。
雨具のズボンも保護のために地肌の上から直接着用して、その上から作業ズボンを着用しようかと悩みました、いわゆる逆転の発想ですな。
しかし雨が止んだ時のことを考え、さすがにそれはやめてスパッツを着けるだけにとどめておいてやりました。
道は八十里越街道から番屋山に向かうルートを通り、雨生池手前から逸れていよいよ藪地帯に突入します。
去年の秋にも途中までここを歩いており、踏跡が残っていることは確認済みです。
吉ヶ平トレッキングマップ掲載の点線に沿って歩けばこのまま踏跡は概ね最後まであるのではなかろうかと考えていて、ただひとつだけ不安要素があるとすれば山頂直下が崖状になっており、そこをうまく通過できるかどうか気になるところでありました。
でもここは旧道ということで以前は吉ヶ平集落民の往来があったことでしょうから大丈夫だろうと楽観視しておりました。
雨が上がるのを待って予定より大幅に遅れて出発したこともあって珍しく雪野さんは山芋とかキノコを探さず真面目に歩くので私もつられて真面目に歩きます。
でもやっぱりキノコを見つけると採取しないわけにはいきません、クリタケやナメコを見つけては採取し、少しだけ横道にそれながら進んでいきました。
それにしても天気は一向に良くなりません、一旦雨は上がったかのように見えたのですが歩いているうちに雨脚は激しくなっていくばかり、雨の中の藪歩きは本当に最悪ですね。
今回は天気予報が晴れだったので、雨が上がるのを待ってこれから良くなることを見込んで歩いたので仕方がないと思うのですが、そもそも雨具着用ありきの山登りをしてはいけないと私は思っており、これには雪野さんも同じ考えのようです。
理由は景色が見えないとかそんな次元の話ではなく、天気の悪い日の方が遭難発生率は圧倒的に高いから、というのは私が言うまでもないでしょう。
これはあくまで私にとっての話でありますが、雨具はGPSなどと同じでいざという時を想定したお守りのような物であり、例えば仕事のために雨でもどうしても登らなければならない時とか不意に天候が崩れた場合や今回のように天気予報が外れた場合などのために持ち歩いているにすぎません。
それにしても雨具を着ると非常に歩きにくくて仕方がありません。
特にズボンはすぐに落ちてきて短足になり困ります。
なぜだか雨具がずり落ちると下に履いている作業ズボンまでずり落ち、さらに一緒に下着のパンツまでずり落ちてくるので大変です。
雪野さんがいるのもお構いなしにずり落ちた下着のパンツを休憩するたびに半ゲツを出しながら直して歩きましたが、雪野さんに怒られなかったということは無事バレずにパンツを直すことができていたようで、雨中の山行においてこれは朗報でありました。
パンツが直ると同時に気も引き締まり、一時的にやる気が出ます。
相変わらず薄いながらも踏跡のある尾根を進み最初の崖状の登りを通過します、ここは十分に手と足を置く場所があって、それほど苦労せずに越えることができます。
崖を登り終えると緩い下りとなり、その後も緩い上り下りを繰り返し、比較的広めの尾根なので方向を確認しながら進んでいくと、やがて見事なブナ林の広場に出ます。
黄色く色づいたブナの林は別天地となってひと時の安堵感をもたらしてくれます。
一息つきたくなるような場所で雪野さんは思わず足を止めてカメラを出し、私はそのついでにひっそりとパンツを直します。
雨もいつのまにか上がって青空が徐々に広がり始めているようです。
さらに進んでいくと今度は右手に大きな立派なスラブが見えてきて、まさに要塞猿ヶ城といった感じでその姿には圧倒されます。
そしていよいよ懸念していた山頂直下の崖のところまでやってきました。
踏跡は変わらずあるように見えるのですが、露わになった岩肌は凹凸があり、まるでお城の石組のように見えます。
雨でぬれた石組み状の岩はとても登れそうにありませんが、踏跡から逸れて藪の中を灌木に掴まりながら登れば行けそうな感じではあります。
ただし登れたとしても下ることはとても大変だろうと思いました。
私が石組の前であれこれ思案していると、雪野さんがさっさと登り始めて行きます。
仕方なしに恐る恐る私も登りますが、思った通り登る分については何とか大丈夫そうです。
しかし何より下りのことを考えると気が重くなりました、一応ロープは持ってきていますがロープワークに不慣れな私はちゃんと上手にロープを使えるかといったことも心配で、あれこれ悩みながら、とりあえず山頂へと到着しました。
山頂では雪野さんが「ここを下りずに他のルートを通って下山しよう」と言いますが、尾根や藪の具合といい、下りきった場所の問題など、それもまた心配な要素は多くあります。
長い月日を経た末にようやくたどり着くことができた約束の地(プロミストランド)でありましたが、心配事が多く有り手放しで喜ぶことができません。
とりあえず地図を見て考えようと思っていたところ山頂のすぐ近くでチェンソーの音が聞こえ、何だろうと思ったら二人の人が反対側から木を伐りながら進んできました。
猿ヶ城の山頂でばったり出会った私たちとチェンソーの二人はそりゃあ驚きました。
彼らは何でも熊撃ち猟師とのことで春先に熊撃ちに来るのに今のうちに道を付けているとのことだそうです。
「どこから来た?」と聞かれて、通ってきた道を説明すると「よくもまああんなところから来たねえ」と褒められたというか変なやつといった目で見られたような気がします。
結局のところチェンソーにより伐採され、すこぶる見晴らしが良くなった三角点の周りで我々は昼食を食べ、猟師の人たちが付けてきた道を一緒に下り、さらに途中で作業をしていた数人の猟師さんと合流して、皆さんと一緒に遅場集落へと下山しました。
道は元々踏跡があったようで、そこを利用して藪が酷くなったところを中心に歩ける程度に道刈をしていたようです。
猟師の人たちは総勢で8人ほどおられたようでしたが、下山途中にあった山の神ではひざまずきながら手を合わせていたのが凄く印象的でしたし、また皆さん大変に気さくな人たちばかりで、いろいろな話を聞くことができ、少しだけですが地元の人たちの文化や風習に触れることができたことも有意義なことでありました。
そして遅場集落からは猟師の方の車に揺られて吉ヶ平まで無事に戻ることができました。
通り道でもないのにわざわざ送っていただいて、これには大変にありがたいと思いました。
それにしても何というか、ある意味もの凄くついていたと思う反面、猟のために道を切られるということも仕方がないことだと思うのですが、それにしても他の人に付けられた道を案内されながら下山したことについて、どこか釈然としないような気持を抱きながら、安全第一で良かったと自分に言い聞かせ、去年からの目的地であった猿ヶ城の山行を無事に終えることができました。
コースタイム
吉ヶ平山荘 3時間30分 猿ヶ城 2時間 遅場集落